2011年09月27日

幻想の街


                    幻想の街               


十一月の日暮れは思いのほか早い。信号待ちの交差点で、里美は振り向いて自分の運転している軽のワンボックスの荷台を見た。まだ二十近い荷物が残っている。日が沈むまでに全部配達するのは無理だと思った。車を路肩に止めて住宅地図を見る。そしてもう一度配達のルートを組みなおす。
里美が宅配の仕事を始めてから四年がたつ。年々共働きの家が増え日中は留守が多い。配達の効率は落ちるばかりだ。ひとついくらの請負でやっているので、配達が完了しないとお金にならない。今日は早く終わって整体に行きたいと思っていたが、この分だとまた遅くなる。里美は今年四十二になった。最近は体のあちこちにガタが来ている。とりわけ腰痛がひどい。毎日車に乗っているのと、荷物を抱えて走り回るせいだ。この仕事もそろそろ限界だとは思うが、この歳でそうそう楽な職など見つかるわけもない。仕方なくくたびれた体をだましだまし使っている。
夕方の渋滞を避けて裏道に入る。この地区を受け持つようになってまだ半月だが一日六十件近く配達をするので、三ヵ月もすれば里美の頭の中には見事に住宅地図が出来上がってしまう。そうなれば効率はもっと上がるはずだ。
里美は車を路肩に止めると「配達指定午後五時」と書いてある荷物を荷台から取って助手席に置いた。次に配達する荷物だ。
今朝、里美がセンターを出るとき、所長の山崎に呼ばれて「河合さん、この荷物なんだけど、どうしても今日の五時ちょうどに届けてほしいんだ」と言われた。配達指定は本来なら二時間の幅があるはずなのに、この荷物だけは五時きっかりになっている。きっかりの時間なんかに行くのは至難のわざだ。こんなことがまかり通ったら宅配の仕事なんてできやしない。里美はぶつぶつ言いながらもう一度荷物の住所を確認した。今日はこの指定の荷物を中心にルートを組んだのでいつもとは回りかたを変えた。効率が落ちたのはそのせいもあると思うと、荷物の主に対して少しだけイラついた。
 里美は五時五分前に「相良」と表札のかかった家の前に着いた。そして玄関の前で五時になるのを待っていた。前にも時間指定の荷物を配達したことがある。そのときは遅れてはいけないが、早い分にはかまわないだろうと思って指定時間の十分前に行った。そしたらその荷物の主に「なんで時間ちょうどに来ないんだ。なんのための時間指定なんだ」と怒鳴られたことがある。センターに戻って山崎に愚痴を言うと「河合さんそれは仕方ないね、まあその時間と言えばその時間なんだろうね。一分前でも後でもダメってことなんだよ」と言われたのでそれからは遅くもなく早くもない、ぴったりに届けるようになった。
里美は「相良」の家を見上げた。白い洋館の建物はかなり大きくて立派だ。しかも最近建てたのではないかと思われるくらい新しい。これだけの家だと敷地もかなり広いのだろう。間口はそれほどでもないのだが奥行きがありそうだ。庭には白い洋館に不釣合いな松や椿や楓などの植栽がほどこされている。そのアンバランスさが奇妙だった。けれど東京都内でこれだけの家を持てるというのはかなりの資産家なのだろう。
里美は五時きっかりにインターホンを押した。インターホンからは返答がない。もう一度押したが無言のままだ。まさか指定しておいて留守ってことはないだろう。だとしたらふざけるなだ。里美はたて続けにインターホンをバシバシ押した。するといきなりドアが開いた。と同時に里美の目に女が飛び込んで来た。女は「ごめんなさい気がつかなくて」と言い、「今ハンコを持ってきます」と奥へ引っ込んだ。一瞬しか見なかったが女は里美より若くてきれいだった。歳のころは三十二くらいだろうか。女が戻ってくるまで里美は玄関を見回した。玄関だけで十畳はあると思われる。正面には立派な生花が、たぶん高いであろう花瓶にこぼれんばかりに生けられている。天井までの高さに備え付けられたシューズクローゼットには、ブランドものの靴がデパートのように並べられているのだろう。里美はふと自分の足元を見た。毎日配達で走り回っているスニーカーはかなりみすぼらしいものになっている。里美は女にそのスニーカーを見られることがひどく恥ずかしかった。
「ごめんなさいお待たせして」奥から女が戻って来た。ハンコを押す女の手は白くてしなやかだ。それに比べて荷物を渡した自分の手は黒くてささくれだっている。里美は「どうも」と言って伝票を受け取ると逃げるように外に出た。
 その日、里美がすべての配達を終わってセンターに戻ったのは八時過ぎだった。山崎と数名の配達員が明日の荷物の仕分けをしていた。
「ああ河合さんお帰り。今日も遅くまでごくろうさま」山崎の言葉に「所長もいつも遅いですね」と返事をして伝票の整理を始めた。終わってセンターを出ると自転車に乗ってスーパーに向かった。通勤には自転車を使っている。東京では車なんて必要ない。駐車場はバカ高いし、第一どこへ行っても渋滞だらけじゃないか。この街で車なんかに乗るやつはよほどのヒマ人なんだ。里美はぶつぶつ言いながらペダルをこぐスピードを速めた。最近のスーパーは深夜までやっていて、遅くまで仕事をする者には便利になった。二十四時間やっている店もある。さすがに生鮮食品は売り切れているが、それ以外のものはだいたい揃う。里美は家に帰る途中にある店で売れ残ったキャベツと安売りの洗剤を買った。肉は日曜日に買った残りを冷凍にしてある。また今夜も夕食のおかずは簡単な野菜炒めだ。
 里美の家は職場から自転車で二十分はかかる。途中で買い物などをすると家にたどりつくまで下手したら一時間かかるときもある。一日中配達でくたくたになった四十二の体にはかなりきつい。特に帰りは坂道になる。なんとかのぼり終えた先にある木造アパートの二階が里美の家だ。
「ただいま」里美はドアを開けて聞こえるか聞こえないかの声を出した。半畳もない玄関に脱ぎ散らかしてある靴を見てから顔をあげた。2Kのアパートは玄関のドアを開けただけでベランダまで見通せる。里美の視線の先に啓吾の姿が見えた。その瞬間、疲れは何倍にもなって里美を襲った。テレビを見たまま啓吾は「腹減ったよ」と言った。里美は無言で台所に立った。肉を解凍し、買って来たキャベツをきざんで炒めた。味付けは塩と胡椒だけだ。
啓吾は四十六になったばかりだ。半年前に脳梗塞で倒れてからほとんど寝たきりに近い状態だ。何にも興味を示さず、日がな一日ぼんやりテレビを見ている。幸いトイレにはなんとか行けるし、時間をかければ服も自分で着られる。ほんとはもっと良くなるはずなのだ。医者には積極的にリハビリをするようにと言われているが、啓吾にはまったくやる気がない。
 里美は野菜炒めとごはんと漬物を啓吾の前に置いた。啓吾は右半身のマヒがひどいため左手で箸を持つのだが、うまく持てなくてぼろぼろとこぼしている。里美はそれを拾うでもなくぼんやりと見ていた。目は啓吾を見ているのに意識はそこになかった。里美の意識は遠い昔に向かっていた。
 里美は四年前に啓吾と駆け落ちをした。ふたりはW不倫の果ての逃避行だった。出会いはありふれた上司と部下の関係だ。里美のパート先に新しく部長として赴任して来たのが啓吾だった。ふたりはあっという間に恋に落ちた。里美の夫はしぶしぶ離婚届に判を押してくれたが、啓吾の妻はかたくなに拒んだ。そのころの啓吾には中学に上がったばかりの息子がひとりいた。そのため息子が成人するまでは絶対に離婚はしないと言い張っていた。里美の方に子供はいなかったので、こちらはそんなにもめることはなかった。里美の夫は最後に「お前は間違っている」と言っただけだった。啓吾の妻は半狂乱になって里美をののしった。福井県の小さな町で、二人のことはすぐに噂になった。いたたまれなくなったふたりは、なにもかも捨てて東京に逃げて来た。
ありふれた話と言えばありふれている。こんな話はどこにでもある。里美もよくテレビドラマで見たし、知り合いに同じような話を聞いたこともある。テレビの人生相談でもよくやっているではないか。ご多分にもれず結末だってありふれている。決して幸せにはならないのだ。
里美は相変わらずぼろぼろとこぼしながらご飯を口に運んでいる啓吾を見て、自嘲気味に微笑んだ。啓吾は「ん?」という顔で里美を見た。里美は「何でもないよ」と首を振った。自分はいつから笑わなくなったのだろう。最後に笑ったのはいつだったろう。どうして笑わなくなったのだろう。
「おかわり」
 聞き取れないような言葉で啓吾が言った。倒れてからはろれつもうまく回らない。啓吾も自分の思っていることが伝えられないことに癇癪を起こすことが多くなった。里美はこぼれたご飯をふき取り、啓吾の茶碗に半分だけよそった。最近の啓吾は動かないので体重も増えつつある。腹回りは完全にメタボだ。食事が終わると啓吾に歯磨きをさせ、パジャマに着替えさせて寝かせる。この時期風呂は三日に一回でいい。大きな啓吾の体を洗うのは里美には骨の折れる仕事だ。里美のアパートは六畳と三畳の和室に一畳ほどのキッチンがついている。六畳間には、啓吾が横になるためにいつも布団が敷きっぱなしになっている。啓吾が眠ったのを確認してふすまを閉めた。ふすまを閉めると狭い三畳間がますます狭く感じる。里美は食事をするでも、テレビを見るでもなくぼんやりしていた。何かすべての気力が体から抜けていくように感じて動けなかった。
 いつ眠ったのかわからないうちに朝が来た。里美は啓吾の朝食を用意してから家を出て自転車でセンターに向かった。行きは下り坂になっているのでペダルをこぐのも苦にならない。センターに着くと自分の配達区域のパレットを確認した。今日は比較的荷物が多い。荷物は多ければ多いほどお金になる。啓吾が倒れてからは、ふたりの生活は里美の稼ぎにかかっている。月によって荷物の量にばらつきはあるが、平均すると一ヵ月の収入は二十万くらいだ。その中で家賃を払い、啓吾の病院代を払うと生活はぎりぎりだ。足りない月はわずかな貯金を切り崩している。啓吾が働いているときも楽ではなかった。啓吾の収入のほとんどは妻に仕送りしていたからだ。
「おはよう」
 山崎はいつも元気だ。里美の事情を知っているせいもあって何かと親切にしてくれる。山崎は里美より二つ下だ。まだ小学生のこどもがいると言っていた。
「河合さん、実は今日も例の家に時間指定の荷物があるんだ」
 山崎は昨日と同じ荷物を里美に渡した。里美は「はあ」と言って受け取った。また今日も「相良」の荷物を中心にルートを組まなければならない。里美は自分とはかけ離れた生活をしているであろう「相良」の家の住人を思い出して息を吐いた。
 十一月は宅配をするのに悪い季節ではない。日暮れは早いが暑さで気持ちが悪くなることはないからだ。宅配で一番きついのは真夏だ。乗り降りが多いから車にクーラーはかけない。炎天下の中、分刻みの配達で走り回っているとめまいがする。暑くて食欲もないから食事もとらなかったりする。里美はもともと体力がある方ではない。よくこんなに長くこの仕事をやってこられたと思う。
 夕方、五時きっかりに「相良」のインターホンを押した。応答がない。「またか」と里美はため息をついた。五時っていうから五時に来てるんだ。すぐに出ろ。インターホンを押し続けた。少し待っても誰も出て来ない。本当に留守なのかと思ってドアに耳をつけて中の気配をうかがった。かすかにピアノの音が聞こえる。いるんじゃないか。里美はもう一度インターホンを押した。けれどやっぱり応答がない。
 仕方なく裏に回ってみることにした。勝手に人の家の庭に入り込んでいいものかどうか迷ったが、荷物を持ってどんどん奥に入って行った。荷物は昨日と同じ三十センチ角の箱で軽い。品名は電子部品となっている。パソコンの部品か何かだろう。時間指定をしなければならないほど急ぎの荷物なのだろうか。それならとっとと出て来て早く受け取ってほしい。
 広い庭は外から見るのと違い、あまり手入れがされていなかった。表から見えるところだけが体裁を整えている。入口は和風の植栽なのに奥に入ると、やしの木などの洋風に変わっている。里美はそれらの木を見回しながら「変なの」とつぶやいた。
 ピアノの音がどんどん近くなる。里美はこっそりとその音に近づく。足音をたてないようにゆっくりと。これじゃあまるで空き巣狙いみたいだ。ふとそう思って肩をすくめた。空き巣じゃないんだから普通に歩けばいいんだよ。荷物を持ち直して足を速めた。ピアノは庭に面した大きな窓の中から聞こえる。ここまで来ると曲名もはっきりわかった。ショパンの「幻想即興曲」だ。
 里美は思わずその音色に聞きほれた。滑らかで透明な音だ。弾いているのは昨日見た女だろうか。里美もピアノが好きでよく弾いていた。そう、啓吾と駆け落ちするまでは。
里美の家にもピアノがあった。こんなに広くはないが庭もあった。その小さな庭はこの庭よりもよく手入れされていた。庭付きの一戸建て。リビングには結婚してから新たに買ったアップライトのピアノ。それに二台の車。パートに出たのは生活のためではなくて、時間をつぶしたかったからだ。そこで啓吾に会ってしまった。それを運命というのだろうか。少なくともそのときの里美は、運命の出会いだと思った。そしてその運命の出会いと引き換えに、啓吾以外の全てのものを失くした。
里美は大きな窓から中を覗いた。グランドピアノとそれを弾いている女の後ろ姿が見えた。昨日の女だ。細くて白い指が鍵盤の上を這うように動く。里美はその指に見とれた。と、ふいに女が振り向いた。
「あっ」
 女は声を出したはずだが里美には聞こえない。里美は軽く頭を下げた。女は立ち上がり窓を開けた。
「宅配の方?」
「はい、勝手に入ってきてすみません。何度インターホンを鳴らしても返事がなかったもので」
 少しバツが悪そうに里美は言った。
「ごめんなさい、ピアノ弾いてて気がつかなかったの。昨日の方ね。今ハンコ持ってくるわ」
「いえ、サインでもいいんです」
 また昨日のように待たされると思ったので、里美はボールペンを女に渡した。
「あら、そうなの。じゃあサインで」
 女は里美が指さした伝票の隅に「相良百合子」と書いた。きれいな手で書いたきれいな字だ。里美はその伝票を、日に焼けてささくれだった手で受け取った。
「ピアノお上手ですね」
 思わず声をかけていた。
「あら、恥ずかしいわ。でもピアノはちょっと自慢なの。結婚する前だけど、国際ピアノコンクールで入賞したことがあるのよ」
 百合子は控えめに言った。
「それはすごいですね。どうりで素人離れしていると思いました」
「あなたもピアノお弾きになるの?」
 里美はその質問になんと答えようか迷ったが、
「ええ、私もピアノは好きでよく弾いてました。最近は弾いてないけど……」
 正直に答えた。
「お仕事がお忙しいのでしょうね」
「いえ、ピアノがないんです」
 里美はグランドピアノを見ながら言った。
「そうなんですか」
 百合子はちょっと困った顔をした。「それじゃあ」と、帰ろうとする里美に向かって「あの、よかったらピアノ弾いてみませんか?」と言った。
「えっ?」里美は素っ頓狂な声を出した。
「いえ、別に、その、失礼でしたらごめんなさい。なんだかあなたがどんな曲を弾くのか聞いてみたくなって」
 百合子は申し訳ないような顔をした。
「ありがとうございます。でもこのあとも配達がありますし。それに私はもう随分ピアノなんて弾いていません」 
 里美はもう一度ピアノを見た。リビングに、まるでコンサート会場のように置かれている真っ黒なグランドピアノは、この家の豊かさの象徴のような気がした。

 日曜日は里美の唯一の休みだ。世間では週休二日が当たり前。宅配の業界だってローテーションを組んで週に二回は休みがある。でも里美は日曜日しか休まない。その日曜だって繁忙期には休まない。
休みの日はたまった家事と啓吾の世話で終わる。啓吾の体は思うようによくならない。もっとリハビリを頑張れば普通の生活が出来るはずだ。仕事をすることだって可能なんだ。けれど啓吾は動こうとしない。生きているのに死んでいるような目をしている。この先にはなんの希望もないのだとその目は言っていた。
 啓吾が後悔していることは里美が一番よくわかっていた。啓吾は家族を捨てたバチが当ったのだと思っている。だからもう自分には生きる資格さえないのだと思っている。そんな啓吾の看病をしながら、里美は自分にだってバチが当ったのだと思った。
「少し早いけどそろそろお昼にする?」
 里美は洗濯物を干し終えると、テレビを見ている啓吾に言った。
「ああ」
 啓吾はどうでもいいようにうなずいた。
「うどんでいいよね?」
 それに対する返事はない。里美は冷蔵庫から冷凍のうどんを取り出し湯を沸かす。ふつふつと湯気の出る鍋を見つめながら、何もかもこの鍋の中に入れて蒸発させてしまいたいと思った。啓吾と自分、そして過去と未来の全部をこの煮えたぎる鍋に入れて、あとかたもなくなるまで煮込んでしまいたいと思った。
「はい、今日は特製てんぷらうどんだよ」
 里美は啓吾の前にうどんを置いた。何も言わずに啓吾は箸を持つ。箸が滑ってうまくうどんがつかめない。
「いらん」
 啓吾はいきなり箸を投げた。その箸が里美の頬をかすめた。里美の体が凍りついたように固まった。啓吾は荒い息を吐きながら、六畳間に敷いてある布団にもぐり込んだ。里美は固まったまま目の前のうどんに視線を落とした。そしてしばらくそれを見つめていた。汁を含んだうどんは伸びて、てんぷらの衣がふやけて広がっている。里美はいきなりどんぶりを抱えて食べ始めた。何日もなにも食べていなかったかのような勢いで、うどんを胃の中に流し込んだ。味なんて分からない。膨張したうどんは里美の胃の中でさらに膨張した。啓吾の分も食べた。食べながら布団にくるまっている啓吾を見た。そこにいる啓吾は、あの日運命の出会いだと信じた啓吾とは別人のようだった。
 自分が啓吾を愛したと思ったのは錯覚だったんだろうか。いや違う、自分は啓吾を愛したんだ。でも何を? 自分は啓吾のなにを愛したのだろうか。里美は自分の箸を持つ手を見つめながら、手……とつぶやいた。
 手だ。手なんだと思った。啓吾は体のわりに小ぶりな手をしている。けれど手の平は肉厚で弾力がある。普通指先は細くなっているものだが、啓吾の指は先になるにしたがって太くなっている。指の腹は犬の肉球のような感じだ。里美はよく啓吾の手に自分の手をからませながら、「啓ちゃんの手って、実家にいる柴犬のゴンの足みたいだね」と言ってからかった。「なんで俺の手が犬の足なんだよ」啓吾は笑いながら里美の頭をこづいた。その手がとても温かくて安心した。そしてその手で愛撫されるのが好きだった。啓吾の愛撫は絶妙だった。肉球のような指を使い、触れるか触れないかの微妙さで全身を愛撫する。里美の体に電流が流れる。それだけでいかされてしまうことが何度もあった。
 里美はその手を自分だけのものにしたいと思った。啓吾が妻にも同じことをしていると思うと嫉妬で狂いそうになった。「嫁さんにはそんなことしないよ」啓吾はいつも笑ってそう言った。「うそ、啓ちゃんはやさしいもの、奥さんにもしてるでしょ」否定してもらいたくて、里美はいつも啓吾を困らせた。
 そんな会話をしたことすら遠い昔のことだ。そして里美の望み通り啓吾の手は里美だけのものになった。なのに駆け落ちして一年もしないうちに、啓吾のその手は里美の体に触れることはなくなった。啓吾が倒れたときどうしようか迷ったが、里美は啓吾の妻に手紙を書いた。その一週間後、啓吾の妻から郵便が届いた。中には印鑑を押した離婚届けが入っていた。戻ることも進むこともできない。小さな暗い穴の中でふたりはただ息をしているだけだ。

 月曜日は荷物が多い。留守も多いので再配達に時間がかかる。里美が「相良」の前を通ったのは午後七時過ぎだった。同じ町内に配達があっただけで、今日は「相良」に届ける荷物があるわけではない。でもなんとなくこの家の前を通ってみたくなった。
 月夜に浮かぶ洋館は、まるで映画の一場面を見ているようだ。里美は門の前に立ってこの家を見上げた。電気がついていない。誰もいないのだろうか。
里美はひとしきり空想にふけった。この家に住んでいるのは啓吾と里美。啓吾は健康で仕事をばりばりとこなしている。里美は近所のこどもたちにピアノを教えている。毎日啓吾の好物を作って帰りを待つ。夕食にふたりの好きなワインを飲みながら、とりとめのない話をする。そして少し酔ってほてった体を、啓吾の手がゆっくりと鎮めてくれる……。
そのとき里美の背後で車の止まる音がした。振り向くとタクシーから男と女が降りてきた。暗くて顔がよく見えない。
「あら、うちに配達ですか?」
 月あかりに浮かんだ顔は相良百合子だ。隣の男はダンナだろうか。
「いえ、その、ちょっと通りかかっただけなんです。この近所に配達が」
 里美はしどろもどろに答えた。
「うちに配達に来てくれる人なの」
百合子は男の方を見て言った。
「ああそうですか」
男は無表情でそう言うと門を開けて中に入っていった。
「ごめんなさい、主人たら愛想がないの。いつもこんな時間までお仕事なんですか?」
「ええ、けっこう遅くまでやってます」
「大変ですね。でもどうしてうちの前にいらしたの?」
 百合子の質問はもっともだ。この家に配達があるわけでもないのに、家の前にじっと立っているなんて不自然だ。
「ピアノ……そう、あの、ピアノを弾いているのかなって」
 里美はとっさにそう答えた。
「ピアノ?」
 百合子は不思議な顔をした。
「ええ、この前聞いたピアノがとてもステキだったので、また聞けたらいいなと思って」
「あらっ、そうなんですか。そんな風に言っていただけるなんて、ありがとうございます」
 百合子はうれしそうな顔をした。
「ねえ、今度時間のあるときにピアノ弾きにいらっしゃらない?」
「えっ?」
「うちは子供もいないし、私、時間があるんです」
 里美は百合子の突然の誘いにとまどったが、「それじゃあ今度」と答えていた。百合子は「きっとね」と笑いながら家の中に入って行った。 
 里美は配達を続けながら、百合子のことを考えていた。そして百合子のダンナの顔を思い出していた。暗がりだったのではっきりとはわからないが、端正な顔立ちをしていたように思う。けれど百合子よりはかなり年上に見えた。細身で背も高かった。百合子もモデルのような体形をしている。裕福な暮らしをしている美男美女の夫婦。まるでおとぎ話のようだ。里美はまだ荷物の残っている荷台を見てため息をついた。
 センターに戻ると相変わらず山崎が残業をしていた。
「河合さんお帰り、いつも遅くまでごくろうさま」
「所長こそ毎日残業でお疲れさまです」
 いつもと同じ会話をする。里美は机の上に伝票を広げて整理を始めた。山崎は温厚で人あたりがいいので、センターの人間たちから慕われている。とりわけ里美には目をかけてくれる。それはとても助かるのだが、ときおり執拗に里美を見る山崎の目が気になることはあった。
「河合さん、これまた明日もあるよ」
 山崎が「相良」の荷物を里美に渡した。時間指定はやっぱり午後五時。
「あの家すごいでしょ」
 山崎は荷物から送り状を抜きながら言った。
「所長はあの家に行ったことがあるんですか?」
 意外という顔で里美は聞いた。
「あそこはこの前まで僕が配達していたんだ。五時ちょうどなんて指定は配達員が嫌がるでしょ。だからあそこ一件だけ僕が届けてたんだよ」
 ならどうして自分に届けさせるんだ。自分だってそんな面倒な荷物はお断りなのに。
「ごめんごめん、河合さん怒ってないよね? この間二人も辞めただろ、だから僕も忙しくて配達まで手が回らなくて。河合さんなら文句言わずにやってくれると思って」
 山崎は本当に申し訳なさそうに言う。先にそう言われたら今さら嫌とは言えない。里美は仕方ないという顔をした。
「でもさ、あの家ちょっと奇妙な感じだよね。だいたいあの町並みにあの洋館は合わないよ」
 里美が怒ってないとわかると、安心したのか山崎はしゃべり始めた。
「あそこはさ、前は古い日本家屋が建っていたんだよ。それが三年くらい前だったかな、取り壊されてあの洋館に変わっていたんだ。住んでいるのは夫婦ふたりみたいなんだけど、ふたり暮らしにしたらあの家は大きすぎるよ。あの家の玄関が僕の家のリビングくらいなんだから」
 それならあの玄関は自分のアパートの部屋がすっぽりと入ってしまう広さだ。里美は古ぼけたアパートと豪華な玄関を思い比べた。それと同時に百合子の姿が脳裏をよぎった。
「あそこの奥さんすごくきれいですよね」
 里美は山崎の顔をのぞき込むように言った。
「うん、確かにあそこの奥さんはきれいだね。でもなんか透明な感じがするよ。なんていうかな、あんまりきれい過ぎて人間味を感じないっていうか。僕は河合さんの方が魅力的だと思うよ」
 里美はそう言う山崎の視線が自分の胸元に注がれているのを感じていた。
「じゃあ河合さん、明日もよろしく」
 山崎は里美の肩をポンとたたいて戻って行った。里美は伝票を整理する手を止めて、窓ガラスに映る自分を見た。伸び切った髪を後ろで束ねた疲れた顔の自分。美容院に行ったのはいつだったろう。コンビニで買った安物のファンデーションと口紅はとっくにはげている。里美は自分が失った物の大きさを改めて思った。そして手に入れたと信じた物すら手の中からすべり落ち、すべては幻想の中に消えたのだ。

 翌日、里美は五時に「相良」のインターホンを押した。「はい」と応答があった。すぐに玄関のドアが開いて百合子が出て来た。
「今日はお待たせしませんでしたね」
 笑いながらハンコを押す。百合子は今日も洒落た格好をしている。パフスリーブのシャイニーブラウスに白のパンツ、そこにメタリックカラーのネックレスをしている。家にいるのにこんな格好をしていて家事が出来るのかしらと思う。
「いつもこの時間に指定なのは何かあるんですか?」
 里美が疑問に思っていたことを聞くと、百合子はそれには答えず、
「今日もお忙しいの?」と聞いた。
「いえ、今日は荷物が少ないから早く終わると思います」
 里美がそう答えると、
「ちょっと上がってお茶飲みませんか」と誘われた。
「えっ? 今?」
「ええ、時間がとれるなら少しだけでもいいの。ピアノ弾きませんか?」
「でも……いいんですか?」
「なんだか私、あなたとお話したくて」
 里美は百合子の家に興味があった。ピアノにも触れてみたい。それに見ず知らずの自分と話したいという百合子の真意を知りたいとも思った。
「それじゃあ少しだけ」
 里美はリビングに通された。先日窓から覗いたのと、実際に入ってみたのとでは広さが違う。三十畳はあるかと思われる。
「すごいお部屋ですね」
 里美は部屋の中を見回しながら言った。
「ほとんど主人の趣味なの。お茶を淹れてきますから座ってらして」
 百合子が部屋を出て行くと、里美はリビングの中央に置かれているソファに腰を下ろした。置いてある家具はほとんどが外国製のようだ。里美も以前はインテリアに凝っていて、離婚する前はそれなりの家具を揃えていた。自分の家に少しずつ自分の好きなものが増えていくのが楽しみだった。
 百合子の家のソファやキャビネットは、里美が欲しくても手が出なかったイタリア製だ。
「お待たせしました」
 百合子はトレーに紅茶とケーキを載せて戻ってきた。
「お仕事中なのにごめんなさい。私ったらほんとにしつこく誘っちゃって。変なやつって思ったでしょ。なんだか初めて会ったときから気になっていたの」
「私のことが? どうして?」
「どうしてかしらね。よくわからないの。あなたの……あの、お名前聞いていいですか?」
「河合です。河合里美」
「里美さんてお呼びしていいかしら。結婚されてますよね?」
 里美は一瞬答えに詰まったが、
「離婚して、駆け落ちしたんです。籍は入れてないの」
 本当のことを言った。
「駆け落ちですか? ドラマみたいですね」
「そうですね。私もドラマでよく見ました。まさか自分がそのドラマの主人公になるとは思ってもいませんでしたけど」
「ステキですね」
 百合子は視線を泳がせながら言う。ステキか……。里美は紅茶に口をつけた。アッサムティの香りが鼻からのどに抜ける。
「ピアノ、弾きませんか?」
 百合子は言った。
「ええ、でも弾けるかしら、もうずいぶん弾いてないんです。そう、四年くらい」
「大丈夫ですよ。ピアノ好きなんですよね。何年弾いてなくても体が覚えているもんですよ。」
 里美はグランドピアノの前に立って白い鍵盤を見つめた。三歳から始めたピアノは里美の得意とするもので、その頃は大きくなったらピアニストになりたいと思っていた。けれどそこまでの才能はなく、ピアノは趣味の域で終わっていた。
人差し指で鍵盤を押す。ドの音が広いリビングに反響する。里美は椅子に座り両手を鍵盤の上に置いた。リストの「ラ・カンパネラ」を弾き始めた。ところどころぎこちない指の動き。久しぶりに弾くピアノ。でも指は覚えていた。だんだん感覚を取り戻す。リズムに乗ってきた。あの頃を思い出す。自分が幸せだと信じていたあの頃を。幸せだと信じていたのに、なぜ啓吾と恋に落ちたのだろう。夫ではなくて、なぜ啓吾を選んだのだろう。指はだんだん滑らかに動くようになった。それと共に体も揺れる。里美の指先から創り出される音。その音が里美の体に染み込んでいく。心地いい感覚。それは次第にエクスタシーへと導かれていく感覚に似ていた。
「ステキだわ」
 百合子は立ち上がって拍手をした。
「里美さん、とっても良かったわ。四年ぶりに弾いたなんて思えないわ。なんていうか、里美さんのピアノからは里美さん自身を感じるわ」
「恥ずかしいわ。でも、どうもありがとう」
 里美は椅子から立ち上がり、ソファに腰を下ろすと飲みかけの紅茶を飲んだ。
「百合子さんも聞かせてください」
 百合子は、「それでは次はわたくしが弾かせていただきます」と、おどけた調子で言ってピアノの前に座った。その姿は貫録がある。絵になっていた。この部屋も家具もピアノも、すべて百合子のためにあるような気がした。そう、愛する妻のために夫が与えてくれたもの。百合子はその中に包まれて輝いている。ショパンの「英雄」を弾く百合子自身がこの家の英雄なのだ。
 その昔、里美の夫も里美に与えてくれたではないか。里美の趣味で整えられた部屋、好きな花を存分に咲かせた庭。何不自由ない生活。夫からの愛。愛? 里美は百合子のピアノを聴きながら別れた夫の顔を思い出していた。そして小さな声で、愛……とつぶやいた。
「いかがでしたか?」
 百合子は弾き終わって振り向いた。里美は突然我に返った。
「あんまりお上手なんで聞き惚れてました」
「里美さんもお上手ですよ。同じ趣味でうれしいわ。ねえ良かったら時間のあるときにピアノ弾きに来ませんか?」
「どうしてそんなに私を誘ってくれるんですか?」
「里美さんのピアノを聴いていてわかったの。私たちは同じなんじゃないかと」
「同じ? 何が?」
「何か、それはよくわからないけど……なんだか同じ匂いを感じるの」
 里美には百合子の言っていることがよくわからない。
「私、そろそろ行かなくちゃ」
 里美は時計を見て腰を上げた。
「お仕事中でしたね。ごめんなさいね。でも、とっても楽しかったわ」
「私もです。ありがとうございます」
 里美は礼を言うと、玄関まで見送ってくれた百合子に頭を下げて車に乗った。まだ配達の途中だ。遅れた分を取り戻さなければならない。あせる気持ちで軽自動車のアクセルを踏み込んだ。

 百合子の家を訪ねてから一週間がたった。その間、百合子宛の荷物はなかったので百合子には会っていないが、里美は時々百合子の言ったことを考えていた。同じ匂いを感じる、とはどういうことだろう。見た目の雰囲気も実際の生活レベルだって全然違うではないか。共通することと言えばピアノが好きなことと、子供のいないことくらいだ。
 里美が、荷物から送り状を抜き取り、今日の配達ルートを組んでいると山崎に呼ばれた。
「河合さん、電話が入ってるよ」
「えっ? 電話? 誰ですか」
一瞬、啓吾に何かあったのかと思って鼓動が速くなった。
「相良さんだよ。ほらいつもの時間指定の人」
「ああ、そう、そうですか、今行きます」
 百合子が仕事場にかけてくるなんて何ごとかと思う。
「はい、これ」山崎から受話器を渡された。
「もしもし、河合です」
 里美は探るような声を出した。
「ごめんなさい、朝早くから職場に電話なんかしちゃって。里美さんの携帯の番号聞いてなかったので、迷惑かと思ったんですけど。少しお話しても大丈夫ですか」
 百合子は申し訳なさそうに言う。
「ええ、もう少ししたら出かけますので、少しならいいですけど」
「あのね、今夜新宿のオペラシティで、ピアノコンサートがあるの。一緒に行くはずだったお友達が急に行けなくなったの。チケットがもったいないし、里美さんと行きたいと思って電話したの」
「ピアノコンサートですか」
「ええ、なかなか手に入らないチケットなの。ねっ、一緒に行きましょう」
 ピアノコンサートなんてもう何年も行ってない。ましてやオペラシティなんて行ったことがない。里美は啓吾の顔と、今日配達する荷物を思い浮かべた。いきなりそれは無理だろう。
「せっかくなんですけど、仕事もありますし無理です」
「そうですよね。でも、七時からなんですよ。なんとか早めにお仕事終わって行けませんか?」
「でも、家には病人もおりますし……」
「食事の用意をしてからでも出かけられませんか?」
「ごめんなさい」
 百合子は、本当に残念だわと繰り返して電話を切った。里美が受話器を置くと山崎が寄って来た。
「相良さん、なんだったの? 苦情?」
山崎は心配そうに里美の顔を覗き込んだ。
「いえ、今夜ピアノコンサートがあるから行きませんかって誘われたんです」
「へえ〜そりゃあすごいじゃない。あの奥さんが河合さんを誘うなんて。で、行くんでしょ?」
「まさか、仕事がありますし主人もいますから無理ですって、お断りしました」
 今の自分がそんなところに行けるわけないことは、山崎だって知っているじゃないか、それを行くんでしょなんて、からかってるのかと思った。
「行っておいでよ」山崎がサラッと言う。
「えっ?」
「せっかく誘ってくれたんだし、河合さんはずっと仕事ばかりで出かけるなんてことないじゃない。たまには気晴らしも必要だよ」
「でも、七時からだし、それまでに今日の荷物を全部配達するのは無理です」
 里美は自分の地区の荷物が載っているパレットを見た。
「それはこっちでなんとかするよ。河合さんは五時までに終わる分の荷物だけ持ち出せばいいよ。残った分はこっちで僕が別の配達員に振り分けるよ」
 山崎は里美が思ってもいないことを言った。
「早めに終わって、ダンナさんの夕食を作ってから出かけたらいいじゃない。こんなこと滅多にあることじゃないんだし」
「でも……」
「やっぱり行きますって電話しなよ。河合さん、ホントにたまにはストレス発散しないと潰れちゃうよ」
 返事に詰まっている里美に、山崎は「はいこれ相良さんの電話番号」と言ってメモを渡した。里美は、でも、だって、その、と山崎と押し問答をしたが、山崎の誠意に負けて百合子に電話をした。「仕事の段取りがついたので、行かせていただきます」と言うと、百合子は「うれしいわ」と何度も言った。百合子とは、時間と待ち合わせ場所の確認をして電話を切った。山崎は「良かった、良かった」と言って、里美の荷物を選り分けてくれた。
 里美はその日、ハンドル片手に菓子パンの昼食をとり、荷物を抱えて走り回った。それと山崎がかなり荷物を減らしてくれたおかげで、四時半にはセンターに戻って来た。手際良く伝票を整理し日報を書くと「どうもありがとうございました」と山崎に礼を言った。山崎は笑いながら「楽しんで」と言って小さくVサインをしてくれた。
 センターを出ると里美は猛スピードで自転車をこいで家に向かった。ペダルをこぐ足に力を入れながら、どうして山崎はこんなに親切にしてくれるんだろうと考えていた。最初は自分に好意を持ってくれているんだろと思っていた。でも、最近は何かそれとは少し違う感じがする。それが何かはわからないけれど。
 アパートの階段を駆け上がる。「ただいま」と里美はいつもよりは少し大きな声で言った。啓吾は相変わらずぼんやりとテレビを見ている。お帰りでもなければ、早いねでもない。
「今夜ね、ちょっと出かけるの。夕飯作っておくから後で食べてね」
 里美は冷蔵庫から豆腐とねぎを取り出す。冷凍室にあるひき肉を解凍してマーボー豆腐を作り始めた。
「どこいくんだ」
 啓吾はテレビのリモコンをあっちこっち押している。
「いつも配達に行く家の奥さんに、ピアノコンサートに誘われたの」
「ピアノ?」
「そうなの、オペラシティなのよ。.すごいでしょ」
「何時に帰ってくるんだ」
「二時間くらいだから十時には帰るね」
 里美は出来上がったマーボー豆腐にラップをかけた。
「じゃあ、これ食べるときに温めてね」
 啓吾は返事をせずにじっとニュース番組を見ている。里美は箪笥の引き出しを開けて着て行く服を選んだ。もっとも選ぶほどの数もない。最後に服を買ったのもいつだったか忘れてしまった。ましてやコンサートに着て行く服なんてあるはずもない。きっと百合子はおしゃれをして来るんだろう。里美は「行く」と言ったことを少しだけ後悔した。
 支度をして家を出て、百合子との待ち合わせ場所である新宿駅に向かった。百合子はすでに来ていて、里美を見つけると笑って手を振った。百合子は本当にきれいだ。黒のドレスワンピースがよく似合っている。里美は、スーパーのバーゲンで買った安物の服が恥ずかしかった。やっぱり来るのはやめておけばよかった。
 里美の服は最低だったが、コンサートは最高だった。アルゼンチン出身のピアニスト、マルタ・アルゲリッチの弾くショパンの曲は素晴らしかった。
「ステキだったわ。まさか生で彼のピアノが聞けるなんて思ってもいなかった。ありがとう。百合子さん、本当にありがとう」
「私も彼のコンサートは初めてよ。本当に感動したわ。でも里美さんにそんなに喜んでもらえて嬉しいわ」
 会場を出たふたりは興奮していた。百合子がタクシーを拾い、乗り込んだ。車の中でもコンサートの話で盛り上がった。こんなに楽しいのはどれくらいぶりだろうか。里美はここ最近の啓吾との息の詰まる生活を思っていた。ストレス発散させておいで、と言ってくれた山崎に感謝だ。
 車は百合子の家の前に止まった。
「ねえ、里美さんまだ話し足りないわ。ちょっとだけ寄ってらっしゃらない? 主人もまだ帰ってないと思うから、お茶飲みましょうよ」
「ええ、でも」
 里美は時計を見た。九時半を少し過ぎたところだ。今なら十時には帰り着くだろう。でも、里美の中にもまだ百合子と話したい気持ちがあった。啓吾の顔が浮かんだが、少しくらいなら遅くなってもいいだろうと、百合子の家に上がった。百合子のダンナはまだ帰っていなかった。
「ご主人はいつも遅いんですか?」
「そうでもないんですけど、今日は飲んで来るって言ってたから」
「先日チラッと見ただけですけど、ステキなご主人ですね」
「あら、そうですか? どうなんでしょうね。私から見ると普通ですけど。それより離婚して駆け落ちするなんて、里美さんのご主人の方がよほどステキな方なんだと思いますよ。あっ、まだ籍は入れてないって言ってましたね。相手の方、まだ離婚が成立してないんですか?」
「いえ、そういうわけじゃないんですけど」
「ごめんなさい、立ち入ったことを聞いてしまって」
「いいんです。それより百合子さんはおいくつですか?」
「そういえば私も里美さんの年を知らないわ」
どちらが先に言うか、二人は目を合わせた。一瞬で百合子に決まった。
「私、三十九です」
 里美は最初百合子を見たとき、三十二くらいだと思ったから七つも若く見える。昔ある女性作家が、「貧乏人に美人妻なし」と言っていたのを思い出した。経済力と美しさは比例するのだ。それなら、自分は百合子から見たらいくつに見えるのだろう。
「私はいくつに見えますか?」
 里美はどんな答えが返ってくるのか、恐る恐る聞いた。
「そうですね、私とそんなに違わないと思うけど、四十一くらいかしら?」
 里美は百合子の答えに驚いた。四十八か九、もしくは五十と言われるかもしれないと思ったので、一歳若く見られただけなのにうれしかった。里美は「四十二です」と言った。
「里美さん、お仕事が忙しいせいか、あまり自分にかまってみえないけど、手をかければもっと若々しくてステキになりますよ。だって元がとてもいいんですもの」
 百合子はうれしいことを言ってくれる。コンサートといい、百合子の言葉といい、今日はいい一日だ。
「ただいま」
 リビングのドアが開いて男が入って来た。百合子は、「おかえりなさい」と立ち上がり「主人です」と里美に紹介した。里美も立ち上がり「おじゃましてます」と頭を下げた。
「あなた、こちら河合里美さん。今夜一緒にコンサートに行ってくれたの」
 百合子の夫は鞄をソファに置きながら、
「私は相良誠二といいます。夕方、百合子から電話がありましてね。今夜は無理にお誘いしたみたいで申し訳ありませんでした」と挨拶した。
 前に暗がりでチラッと見たときもそう感じたが、明るいところで見ると百合子とは随分歳が離れているように思う。啓吾より上だろう。それはそうだろう。百合子にこれだけの生活をさせられるのだから若くては無理だろう。「それでは着替えてきますのでごゆっくり」と言って誠二は出て行った。
「とても優しそうなご主人ですね」里美がそう言うと、百合子は「そうね、あの人はとても優しいわ」と小さく笑った。
 帰るという里美を、百合子は車で送っていくという。里美は駅まで歩いて行くと言ったが強引に車に乗せられた。百合子に自分の住んでいる古ぼけたアパートを見られたくなかったので、「ここでいいわ」と言って、アパートより一本手前の道で降りた。
「今日はほんとにありがとう」里美は礼を言った。「こちらこそ、無理を言って付き合っていただいてありがとう」百合子は運転席の窓から右手を出した。里美も右手を差し出して百合子の手を握った。白くて細くてやわらかい手だった。里美は思わず力を入れた。「里美さんたら、力が強いのね」百合子が笑った。「あっ、ごめんなさい」里美は慌てて百合子の手を離した。
「また電話していいかしら」百合子は携帯を掲げて見せた。「ええもちろん」里美も携帯を持った手を、じゃあまたねと振った。走り去る百合子の車を見えなくなるまで見送った。そして深い息を吐いて真っ暗な空を見上げた。星ひとつ見えない空だった。
 アパートの前まで来た。二階の部屋の明かりは消えている。啓吾はもう眠っているのだろう。階段を上り静かにドアを開けた。真っ暗で玄関の豆電球さえ点いていない。里美は台所の電気を点けた。流しには里美が作っておいたマーボー豆腐がラップをしたまま残っている。食べなかったんだ……。その瞬間、里美は皿を持ったまま動けなくなった。全身に鳥肌が立って心臓の鼓動が速くなる。静かな部屋の中で自分の心臓の音が聞こえる。
 死んでいる……啓吾が……死んだ。その言葉がいきなり里美の頭の中でこだました。里美はゆっくりと振り返り、啓吾が寝ている六畳間を見た。ふすまはしっかりと閉められている。里美は怖くて動けない。ふすまを開けたとたん、首を吊った啓吾の姿が飛び込んできたら……。ドクンドクンと心臓の音は大きくなる。息が苦しい。里美はゆっくりとふすまに近づき静かに開けた。布団にくるまった啓吾の頭が見えた。枕元にひざまずき啓吾の顔を覗いた。静かな寝息が聞こえる。里美の体から力が抜けた。しばらく立ち上がれずに啓吾の寝息を聞いていた。ほっとした、でも……。自分は啓吾の死を望んでいる? まさか、そんなわけはない。啓吾を愛している。啓吾がいなくなったら生きてはいけないと思っていた。いや、今だって思っている……はずだ。里美は静かにふすまを閉めると台所に戻って洗いものを始めた。

 コンサートに行ってからというもの、百合子から里美によく電話がかかってくるようになった。配達中のときもあれば、家に戻ってからのときもある。内容は他愛もないことだ。百合子は近所の人たちとも付き合いがないという。学生時代の友達はみんな子供がいるので、たまに会って話しても子供の話ばかりでつまらないのだと言っていた。それなら里美も同じだ。近所付き合いなんてもちろんない。子供だっていないから職場の同年代の母親とだって話は合わない。もっとも里美は啓吾とふたり息をひそめて生きてきたので、誰かと仲良くなることなんて考えていなかった。配達の途中で百合子の家に寄ることもある。お茶を飲みながら、ピアノを弾いたりとりとめのない話をする。
 その日も里美が朝、センターで荷物の仕分けをしていると、百合子から携帯に電話がかかってきた。
「里美さん、新しい紅茶が入ったの。今日お仕事の途中で寄れない? 一緒に飲みたいの」
 百合子は紅茶にはちょっとうるさい。里美もどちらかというとコーヒーが苦手で紅茶派
だが、スーパーで買ってくるリプトンティーを飲むだけだ。
「じゃあ、三時頃にそっちを通るから、そのときに寄らせてもらうわ」
 里美は百合子の家に寄るためにちょっとだけ配達ルートを組み替えた。
「最近、相良さんと仲いいみたいだね」
 山崎が寄ってきた。
「ええ、この前所長がコンサートに行かせてくれたおかげです」
「河合さん、あの奥さんと気が合うんだ」
「なんとなく、話が合うんです。ふたりともピアノが好きですし」
「へえ、よかったね。やっと河合さんにも友達ができて」
 友達? 百合子は友達なんだろうか。それならこんなにレベルが違う友達も珍しい。ただ百合子は金持ちを鼻にかけることもないし、里美に対して見下すようなことを言ったこともない。それどころか里美を立ててくれるし気も使ってくれる。
 百合子の家に着いたのは三時前だった。インターホンを押した。事前にメールで時間のやり取りをしていたから、すぐに百合子が出てくると思ったのに、ドアを開けたのは百合子のダンナの誠二だった。
「あっ、あの百合子さんは?」里美はびっくりした。
「なんだか急な用が出来て、今さっき出かけたんです。でも十五分ほどで戻ります。上がってお待ちいただけますか?」
「でも、そしたらもう少ししてからまた来ます」
 百合子がいないのに上がるわけにはいかない。
「いや、百合子から引き止めておいてくれと言われていますので。ホントにすぐ戻って来ますから上がってください」
 いえ、やっぱり後で来ますと言って戻ろうとしたとき、里美の携帯が鳴った。「里美さんごめんなさい、すぐ戻りますから待っててね。主人と話しててください」百合子だった。里美が、でも、と言ったとたん電話が切れた。
「百合子からですね。待っててと言ってましたでしょ。どうぞお上がりください」誠二は、どうぞと言って里美を玄関に招き入れた。そこまで言われたら仕方ない。別に誠二と話したくはないが、百合子が戻るのを待つことにした。相変わらずリビングはモデルハウスのように片づけられている。
「ホントにステキなお宅ですね」
「いえいえそんな。それより百合子がいつもお世話になっているみたいでありがとうございます」誠二は礼義正しくおじぎをした。
「こちらこそ、いつも百合子さんにはよくしてもらってます」
 里美も丁寧に頭を下げた。
「最近、百合子が楽しそうなのは里美さんのおかげだと思っています」
 誠二は里美にソファを勧めながら言った。
「私たちには子供がおりませんし、百合子は人見知りする方で親しい友達もおりません。いつもピアノを弾いているだけなのでかわいそうに思ってました。私は仕事が忙しいこともあって、あまりかまってやれないし、百合子とは十三も歳が離れているので話も合わないんです。里美さんみたいな友達が出来てほっとしております」
 友達? やっぱり自分は百合子の友達ということになるのだろうか。百合子はダンナのことを愛想がないと言っていたが、目の前の誠二はとても温厚な感じで、にこやかに里美に話しかけてくれる。ロマンスグレーの洒落た紳士だ。
「私も東京には知り合いもいませんし、百合子さんと仲良くさせてもらってうれしいです」
「百合子はよく里美さんの話をするんですよ。実際こうしてお会いしてお話をしていると、なるほど百合子の言うようにとても魅力的な方ですね」
「私が、ですか?」
 こんな自分の一体どこが魅力的なんだ。毎日配達でくたくたで生活感がにじみ出ているではないか。
「ええ、里美さんはとても綺麗ですよ。なんだかゾクっとするくらいに」
 一瞬誠二の目が山崎の目と重なった。里美は「いえいえ」と首を横に振った。綺麗だなんて言われたのは何年ぶりだろう。昔は啓吾によく言われた。「里美は綺麗だよ。素晴らしいよ」と、会うたびに言ってくれた。もっと、もっと言ってほしい。もっと聞きたい。女を綺麗にするのは高価な化粧品でも、エステでもない。愛する男の言葉なんだ。愛しているよ。綺麗だよという賞賛の言葉。それをもらい続けることなんだ。
「ただいま、里美さんごめんなさいね」百合子が戻って来た。
「今、紅茶をいれるわ、あなたも飲んでから行くでしょ」百合子は誠二に聞いた。「そうだな、もらうよ。出かけるのはそれからにしよう。もう少し里美さんとも話したいしね」
 誠二は里美に笑顔を向けた。そして「これから学会で大阪まで行くんです」と言った。
「これからですか。大変ですね」里美も笑顔を返した。
「それじゃあせっかくだから、三人で私の淹れたおいしい紅茶を飲みましょう」
 百合子はそう言うとキッチンに立った。十五分ほど三人で談笑したあと「それでは里美さんまた遊びに来てくださいね」と誠二は出かけた。
「ご主人て楽しい方ですね」
 里美は二杯目の紅茶を飲みながら百合子に言った。
「でも、歳が離れているからあんまり話が合わないの。私にとっては保護者みたいな感じかしら。それに仕事が忙しくてあまり家にはいないの」
「ご主人、何のお仕事してみえるの?」
「医者よ。開業医」
 どうりで金持ちなはずだ。
「こんな暮らしをさせてくれるなんてステキな保護者ね。うらやましいわ」
「そう? 私はやっぱり里美さんの方がうらやましいわ」
「どうして?」
「だって、駆け落ちするほど彼のことを愛しているのでしょ?」
 愛している? 啓吾のことを? 最近はそんな甘いことを考えたことがない。
「百合子さんだってご主人を愛しているのでしょ?」
「まあ保護者としてはね」
「贅沢よ」
「私は死ぬほどの想いで人を愛せる方が贅沢だと思うわ」
「百合子さんは誰かを死ぬほど愛したことはないの?」
「ないわ」
 百合子はそっけなく答えた。
「でも、死ぬほどのめり込んだことならあるわ」
「えっ? 何に?」
「セックス」
 百合子の口から思いもしない単語が飛び出したので驚いた。
「それって、ご主人?」
 里美は誠二の温厚な顔を思った。
「まさか、主人なわけないわ。主人と結婚する前に付き合っていた人よ。私はそのとき彼を愛していると思っていたわ。でもそれは錯覚だったのよ。私が愛していたのは彼の人間性ではなくて、彼の体だったのよ。彼のテクニックだったのよ」
 百合子がそんなことを話すなんて、里美は次の言葉が見つからない。
「私は彼をほかの誰にも渡したくないと思った。でもそれは愛していたわけではなくて彼のセックスを手放したくなかっただけなのよ」
「だけど、それも愛なんじゃないの?」
「それは愛じゃないわ。ただの執着なのよ」
執着……。そうなのかも知れない。愛だと思っていたものは単なる執着だったのかも知れない。だとしたら自分も啓吾にただ執着していただけなのか。
「ねえ、里美さん、私はこの世の中には二種類の女しか存在しないと思うの。つまりね、それ、を知っている女と知らない女」
「それって?」
「究極のエクスタシーよ」
 百合子の目はだんだん熱を帯びてくる。
「あの感覚は麻薬に似ている。一度経験したら忘れられない。もちろん麻薬なんてやったことはないけど、きっとそうだと思う。男のエクスタシーと女のそれは、たぶん全然違うものだわ。神様は女にだけそれを与えたのよ」
「つまり、百合子さんは知っている女ってことね?」
百合子はゆっくりと紅茶を飲み干した。
「里美さんも、知っている女でしょ?」
 百合子は当然よね、というように里美に向かって微笑んだ。里美は思わず下を向いた。
「どっちが幸せなのかしらね」という百合子の問いに答える代わりに、里美は「それで彼とはどうなったの?」と聞いた。
「事故に遭ったの。私と彼の乗った車がトラックに追突されたのよ。幸い私は足を骨折しただけだったけど、彼はひどい怪我で半年も入院していたわ。しかも事故のショックで不能になった」
「それで百合子さんは彼と別れたの?」
「そう言われると、まるで私がそれだけのために彼と付き合っていたみたいだけど、ん〜でも、そうなのかも」
 百合子は首をすくめた。
「もっとも彼が不能になったからって、すぐに別れたわけじゃないわ。だって私は彼を愛していたし、そんなことは何も問題ではないと思った。だから彼が退院してからだって献身的に尽したの。もちろん経済的にも支えたわ。でもね、だんだん疲れてきたの」
「それ、よくわかるわ」
 里美は深くうなずいた。
「それでね、入院先の院長先生に相談していたの。それが今の主人なの」
「それが二人のなれ初めだったのね。百合子さん、それなら今のご主人は、その、どうなの? いいの?」
 里美は誠二が百合子を愛撫する姿を想像した。
「悪くはないわ」
 百合子はそっけなく言った。
「ただね、里美さん、違うのよ。主人じゃダメなの。彼のときに感じたあの全身が痺れるような絶頂感がないの」
「前に何かの本で読んだことがあるわ。脳というのは一度感じた快感を覚え込み、忘れることが出来なくなるって。そして何度もその快感を味わいたくなる。そういう意味では確かに麻薬に似ているのでしょうね。だとしたら、知らない方が幸せなのかも」
「そうね、知らなければ知らないで済んだものを、なまじ知ってしまったばっかりに苦しまなければならなくなる」
「禁断症状にね」
 里美と百合子は顔を見合わせると、共犯者のように笑った。
 里美が百合子の家を出たのは四時半だった。ずいぶんサボッてしまった。車の中に置きっぱなしにしてあった会社の携帯に着信が何個か入っている。急いでかけなおす。再配達の確認をとってからエンジンをかけた。陽が傾きかけた街を走る。里美はハンドルを握りしめながら、愛なんてすべて幻想であり、錯覚なのかもしれない。それならこの世に愛なんて存在しないのではないか。人間は本当に誰かを、何かを愛することができるものなのだろうかと考えていた。
 
 それからも里美は百合子とよく電話をしたり、家に寄ってお茶を飲んだりした。休みの日にはランチを食べに出かけることもある。そんなとき、百合子は里美の負担にならないように、「もらいものの食事券があるから付き合ってね」という言い方をする。本当は百合子が前もって買っておいたものだと知っていたが、里美は百合子の好意に甘えていた。百合子には啓吾の病気のことも話した。百合子は里美に同情してくれる。それは誠二も同じだった。三人で食事をしたこともある。誠二は「いい病院を紹介しますよ」と言ってくれたが、啓吾の場合は病院が問題なのではなくて、啓吾自身の気持ちの問題なのだ。
「最近楽しそうだな」
 里美が夕食の支度をしていると啓吾が言った。
「そう? そうでもないけど、友達ができたからかな」
「友達?」
「うん、ほら、前にピアノコンサートに行った人よ」
 啓吾との会話はそれで終わった。二人で黙々と食事をしながらテレビを見る。いつからこうなったんだろう。そしていつまで続くのだろう。相変わらず箸がうまく持てない啓吾の手を里美はぼんやりと見ていた。その手が里美を究極のエクスタシーに導いてくれたのは、もう遠い遠い昔のことだ。でも体は覚えている。あのときの絶頂感を忘れてはいない。
別れた夫では味わえなかった。そう啓吾じゃなければダメだった。この前百合子が話してくれたことは、そっくりそのまま里美に重なる。だから里美は啓吾を選んだ。そのことに後悔はしていない。
「麻薬か……」里美のつぶやきは啓吾には聞こえない。啓吾も自分に対して麻薬を感じていたのだろうか。いや、たぶんそれは違うのだろう。女は女の数だけそれぞれに感じ方が違う。相手によっても全然違う。けれど、男の絶頂感は総じてみんな変わりはないはずだ。だとしたら啓吾が自分を選んだのは、愛? なのだろうか。それもたぶん違う。啓吾はただ引きずられただけなんだ。啓吾は後悔している。そしてそれは里美のせいだと思っている。でも誰かのせいなんてあるのだろうか。だとしたら里美が今ここにいるのだって啓吾のせいではないか。麻薬を持っていたのは啓吾で、それを受け取ってしまったのは自分。どっちもどっちだ。ただ、確かに禁断症状は存在する。
 十二月も半ばに入ると荷物の量がいきなり増える。お歳暮シーズンは稼ぎ時でもあるが、半端じゃない数になる。里美の軽では一回で積みきれない。二回目の荷物を積みにセンターに戻ることもしょっちゅうだ。
「どう? 河合さん、順調にいってる?」
 山崎に声をかけられた。
「ええ、なんとか。でも今日は二回戦になりそうです」
「まあ、この時期は仕方ないね。それもあとちょっとの辛抱だよ。それより相良さんとこにはよく行くの?」
「はい、仲良くさせてもらってます。ご主人もいい方ですよ」 
「会ったんだ、ダンナさんに」
「ええ、食事も一緒にしたことありますよ」
「どう思った?」
「えっ? 何を?」
「いや、相良さんのダンナさんだよ」
「だから、普通にいい方だなって」
「それだけ?」
里美の目を覗きこむ込むように山崎は聞いた。
「それだけですけど」
それ以外に何があるんだ。里美は「行ってきます」と言ってセンターを出た。
 師走の街は慌ただしさを増している。道行く人の足取りが倍の速さになる。何をそんなに急ぐことがあるのだろう。まるで年の瀬は急ぐことが義務のように人々が足早に駆け抜けて行く。里美も走る。荷物を抱えてただ走る。何かを考える余裕もない。今の里美にはそれがかえって心地いい。
 二十三日を過ぎるとだんだんお歳暮の配達も落ち着いてくるが、街はますますせわしなくなる。今の里美にはクリスマスもお正月も関係ない。自分と啓吾の生活の為にただ配達を続けるだけだ。そんな忙しさの中でも、たまに百合子に会っていた。百合子の家に行ってピアノを弾いたり、お茶を飲みながら、きわどい話をしたりした。
イブの夜八時過ぎ、配達の途中に三十分だけ百合子の家に寄った。前日に百合子から「明日はケーキを焼くからきてほしいの」と電話があったからだ。百合子は誠二とクリスマスを祝っていた。里美もほんの少しだけお相伴にあずかり、百合子の焼いたケーキをもらって帰った。それを啓吾と食べた。もっとも啓吾は一口食べただけで皿を隅に押しやった。
 里美は三十日まで仕事をした。年明けは三日から配達がある。休みは三日間しかない。その休みも家事と啓吾の世話で終わった。

 一月三日、里美はいつものように出勤した。自分の配達地区のパレットを確認したが、さすがに荷物は少ない。その中に百合子宛の荷物があった。「配達指定午後五時」はいつもの通りだ。
 そう言えばイブの日以来百合子とは話していない。新年の挨拶もまだだ。里美は配達のこともあるので百合子の携帯に電話をした。何度目かの呼び出し音のあと留守電に変わった。
 新年早々の街は一転して静まり返っている。人もまばらで車もすいている。少ない荷物の配達は二時過ぎには終わった。もう一度百合子に電話をしたけれどやっぱり留守電だった。五時じゃなければいけないんだろうか。あとひとつ百合子宛の荷物を配達したら今日は終われる。できれば早く帰りたい。荷物はいつもと同じだ。百合子はよく知った仲だし留守なら置いてきてもかまわないか。里美はそう思って百合子の家に向かった。
 車を百合子の家の門の前に止めて、インターホンを押したが返事がない。やっぱり留守なんだと思って、ふと駐車場を見ると百合子の車の横に見たことのある乗用車が止まっている。よく見るとそれは山崎の車だった。どうして山崎の車が? 配達があったのだろうか? いやそれなら会社の車で来るはずだ。里美は首を傾げながら裏に回ってみた。
 庭は相変わらず手入れがされていない。葉が落ちた木が寒々しさを増している。里美はリビングの大きな窓に近づくと中を覗いた。人影が動いた。なんだ、いるんじゃないか。窓を叩こうとして手を止めた。裸……? 百合子? 里美は中を凝視した。百合子の白い乳房がゆれている。もう一人、男? 男も裸だ。里美の頭の中でやっと状況が把握できた。百合子がリビングのソファで男と抱き合っている。相手は誠二ではない。百合子と全裸で抱き合っている男は……、山崎だ。どうして? どうして百合子が山崎と? 里美は、まばたきもせずに中を見た。山崎は百合子の乳房をまさぐっている。百合子は声をあげているようだ。窓は閉まっていて聞こえないはずなのに、里美の耳に百合子のあえぎ声が響いてくる。百合子は苦悶の表情をしながら山崎の背中に腕をまわしている。山崎の頭が百合子の下半身にうずめられると、百合子は思いっきり体をのけぞらせた。そのとき、百合子の視線と里美の視線が合った。百合子は一瞬大きく目を見開いた。そして里美を見詰めたまま、ゆっくりと微笑んだ。里美は固まったまま動けない。笑った? 百合子は里美を見て笑った。百合子は里美から視線をそらすと、もっと見て、というように山崎の愛撫に合わせて体をくねらせた。里美は後ずさった。そしてきびすを返すと庭を走り出た。
 車に乗りエンジンをかける。手が震えてキーを何度も回した。何なんだ。どういうことなんだ。里美の思考は混乱していた。百合子の家からかなり離れたところで車を止めて、ペットボトルの水を飲んだ。いったいいつから山崎と。百合子はそんなこと一言も言わなかったではないか。しばらくぼんやりしていると携帯が鳴った。百合子からだ。
「荷物、持ってきてくれたんですよね?」
「あっ」
 慌てて百合子宛の荷物をそのまま持って来てしまった。
「それ、五時指定だったわよね。もう一回持ってきてくださらない?」
「えっ、でも」
「私一人しかいないから大丈夫よ」
 電話の向こうで百合子が微笑んでいるような気がした。少し時間をおいて里美は百合子の家に向かった。
 インターホンを押すと、すぐに百合子の声がした。入って来てというので勝手に上がった。リビングで百合子は紅茶を飲んでいた。こころなしか顔が上気しているように見える。
「ありがとう里美さん、そこに座って。お茶淹れるわ」
 里美は何を言ったらいいのかわからない。黙ってソファに腰を下ろすと百合子の淹れた紅茶を飲んだ。しばらく沈黙していたが、百合子が口を開いた。
「驚いたでしょ? そりゃそうよね、いきなりあんなところを見たんですもの。里美さんに話そうとは思っていたのよ」
「いつからなの?」
「もう半年くらいになるかな」
 百合子はちょっと舌を出した。半年も山崎と? 人は見かけによらないものだ。山崎は家庭的でいい父親なんだと思っていた。時おり里美を見る目に違和感を感じたことはあるが、まさか人妻と浮気ができる男だとは思ってもいなかった。百合子にしても、誠二のようなダンナがいて、なんで山崎なんかと。
「きっかけは何だったの?」
 里美はなぜだか腹立たしい気持ちになった。
「山崎さんが配達に来てくれたの。彼を一目見たときに、あっ、この人だって思ったの。たぶん向こうもそう思ったはずだわ。なんていうのかしら、同じ波動というかエネルギーというか。私ね、昔からそういうのを感じるのが得意なの。そしてそれはたいてい当たっているの。だからそういうことになるのに、さして時間はかからなかったわ」
「好きなの? 所長の、いえ山崎さんのこと」
 里美の頭の中は混乱していた。百合子は視線を宙に泳がせながら、
「好きかどうかは考えたことないわ」と言った。
「それ、おかしくない? 好きでもない人とそんなこと」
「あら、そうかしら。私たちはお互いが求めていることを自然に行動に移しただけよ」
「でも、ご主人にばれたらどうするの。何もかも失うことになるじゃない。山崎さんじゃ、こんな贅沢な暮しはさせてくれないわよ」
 宅配センターの所長の給料じゃあ、どう頑張ったってこの暮らしは無理だ。山崎にこの暮らしと引き換えにできるほどの魅力があるとは思えない。こんな危険を冒す百合子の気が知れない。
「あら、主人は知ってるわ」
 はっ? えっ? 今、百合子は何て言った?
「山崎さんとの関係は、主人も公認してるの」
 ショッキングな言葉に里美は絶句した。
「ねえ里美さん、世の中の常識なんてものは、みんな臆病な人たちが考え出したものでしかないのよ。決められた枠の中にいれば安泰だって勝手に思ってる。そこにいれば守られるって錯覚してる。でもホントはみんな窮屈だって感じているし、そこを出たいって思っているのよ。ただ勇気がなくて出られない」
「意味がわからないわ。それは常識とかの問題ではなくて、単に欲望の問題じゃないの」
「そうかも知れないわね。ただ、私たちは誰も傷つけてはいないわ」
「少なくとも、山崎さんの奥さんは傷つくわ」
 まだ小学生の子供がいる山崎の妻は、決して許しはしないだろう。
「ばれなければいいのよ。わからないことは、無いことと同じなのだから。私と山崎さんと主人。この三人が納得していて、これは決してよそに漏れない」
「私が知ってしまったわ」
 里美の脳裏に、さっき見た百合子と山崎がよみがえった。
「でも里美さんは誰にも言わないわ」
 確かに、こんなこと誰に言えるだろう。
「その荷物はいつも山崎さんが届けてくれてたの。彼はちょうど五時くらいに仕事が一段落するから、会社を抜ける口実に時間指定にしたのよ。彼が配達に来る。私たちはここで激しく抱き合うの。そうさっきみたいにね。まさか里美さんがあの時間に来るとは思わなかったわ」
「どうして、その時間指定の配達が私になったの?」
「私が里美さんを紹介してって言ったからよ」
 里美の頭の中はますます混乱した。
「里美さん、主人としてみない?」
「……」
 もう百合子が何を言っているのかわからない。里美はこの場から逃げ出したくなった。
「山崎さんがね、うちの配達員にいい女がいるっていうの。魅力的でそそるって。百合子さんのご主人の好みだと思いますよって。それで会ってみたいって思って山崎さんの代わりに配達に来てもらったの。里美さんは主人の好みにぴったりだったわ。そして思った通り主人は里美さんとお付き合いしたいそうよ」
「百合子さん、それって……、あなたたちは、その、そういう趣味の人たちってこと?」
「はっきり言えば、そうよ」
 二杯目の紅茶を里美のカップに注ぎながら百合子はこともなげに言う。
「百合子さん、私にはそんな趣味はないわ」
「そうかしら。私は里美さんにも私と同類のものを感じたんだけど」
 冗談じゃない。どうして自分が百合子と同類なんだ。自分にはそんな趣味はない。考えたこともない。育ちが良くて、おとなしい奥さまだと思っていた百合子にそんな趣向があったなんて。しかもあんなに誠実そうな顔をしている誠二も、真面目だと思っていた山崎も。
「帰るわ」
 里美は飲みかけのカップを置いて立ち上がった。引き止める百合子を無視して玄関を出た。
 何だか自分が馬鹿にされているような気がした。山崎からそんな風に見られていたなんて。百合子にも誠二にもそう思われていたなんて。センターに戻ったが山崎はいなかった。明日からどんな顔をして山崎に会えばいいんだ。
 家に帰った。啓吾は相変わらずぼんやりテレビを見ている。お茶を淹れて啓吾の前に置いた。里美も湯呑を持ってテレビの前に座る。正月番組はどの局も同じで騒がしいだけだ。里美は画面を見てはいたが、頭の中は百合子のことでいっぱいだった。百合子の姿態、百合子が言った言葉、それらが里美の頭の中でぐるぐるまわっている。
 その夜、里美は風呂に入るときに自分の体を鏡に映して眺めた。確かに若いころに比べれば、ところどころ余分な肉がついてはいる。けれどまだまだ均整がとれていて、百合子と比べても決して見劣りはしないと思った。里美は自分で自分の体をさわった。この体を自分以外の誰かが触れることはもうないのだろうか。
 誠二……と? 思ってもいなかった。百合子はまるで「これ食べない?」というのと同じような軽さで言った。そんな程度のことなのだろうか。セックスと愛は別なのだろうか。愛する男に抱かれるからこそ感じるものではないのか。少なくとも里美は今まで、好きでもない男とセックスすることなんて考えられなかった。
 翌日出勤するとまだ休みを取っている者もいたが、ほとんどの配達員が出てきていた。まだそんなに荷物の量も多くないので、センター内はのんびりした雰囲気だ。あちこちで談笑している。里美も輪の中に入り適当に相づちを打ったりしていた。そのとき向こうから山崎が近づいてくるのが見えた。里美は思わず下を向いた。山崎の顔がまともに見られない。
「河合さん」
呼ばれて仕方なく顔を上げた。
「今日は相良さんの荷物はないみたいだね」 
 山崎の目が里美の目をとらえる。里美の目に映る山崎は昨日までの山崎とは別人だった。返事が出来ずにいると、山崎は目を細めてゆっくりと口元をゆるませた。そして「河合さん、たいした問題じゃないよ」と言うと、里美の肩を叩いて離れて行った。
 街は活気を取り戻していた。里美の軽自動車は繁華街を抜けて住宅街に入る。一気に人通りが少なくなる。荷物を持って玄関のチャイムを押す。印鑑をもらう。毎日毎日、これからいったいどれくらいの年月をこうして過ごすのだろう。啓吾はいつになったら良くなるのだろう。時間は決して戻ることはない。この一秒ですら過去になる。後悔がなんの役に立つだろう。それにしても、この街はいつまでたっても里美に現実感をもたらせてはくれない。

 一月も半ばになった。山崎とは業務連絡以外にことばを交わすことはない。けれど山崎の視線は前にも増して執拗に感じられる。百合子からもあれ以来連絡がない。時間指定の荷物もない。里美は、何か動き出そうとしていたものがいきなり止まったように感じた。配達の途中、時間が空くと車を止めてぼんやりする。そのとき頭に浮かぶのは、決まって百合子と山崎のからんでいる姿だった。百合子の白い裸体、それに覆いかぶさる山崎。あのときのふたりは、主婦でもよき父親でもなくて、ただの男と女だった。人間はもともと男と女でしかない。その上に妻だとか、夫だとかの役割が付けられる。役割を取っ払った人間は、自分の欲望に正直になれるのだろうか。里美の役割は何なんだろう。法律上は啓吾の妻ではない。子供もいないから親でもない。自分には何の役割もないではないか。それなら自分は女でしかない。
そこまで考えて、里美は思わず笑ってしまった。何を小むずかしい屁理屈を並べているんだ。はっきり言えばいい。簡単なことじゃないか。そう、単なる禁断症状なだけだ。そんなこと自分が一番よくわかっているじゃないか。愛だとかなんだとかはきれいごとでしかない。そんなものはどこにも存在しない。今ここに、自分の中にあるものは、現実の肉体の渇きでしかない。渇いた肉体には水が必要だ。潤さなければ干からびてしまう。ただそれだけのことなんだ。
里美は携帯を取り出した。登録の中から百合子を表示して発信ボタンを押した。百合子はすぐに出た。
「里美さん、あなたは私に電話をかけてくると思っていたわ、絶対にね」
「百合子さん……、あの、私は」
「前に言ったでしょって。私は人がどんなエネルギーを持っているか感じることができるって。そしてそれはほとんど当たっているって。今晩、私の方から連絡するわ」
 それだけ言うと百合子は電話を切った。里美はすべてを百合子に見透かされているのだと思った。
 夜、仕事を終えてセンターを出たところで里美の携帯が鳴った。百合子だ。
「もしもし、里美さん、今度の日曜日だけど、西新宿の京王プラザホテル一〇〇三号室に午後二時、大丈夫よね?」
「えっ?」
「そこに、主人がいるわ。もちろんひとりで。里美さんは何も考えないでその部屋に行って。あとはすべて主人に任せれば大丈夫よ」
 里美の返事も聞かずに一方的に電話は切れた。里美は携帯を見つめながら、京王プラザホテル一〇〇三号室……とつぶやいた。
 日曜日までの三日間、里美は自問自答し続けていた。けれど答えは決まっていた。自分の中に言い訳を与えたいだけだということも。啓吾の顔は極力見ないようにした。自分がこれからしようとしていること。そしてひょっとしたらそこから何かが変わってしまうかも知れないという恐れ。でも里美はそこに行くことを決めたのだ。誠二と付き合いたいわけではない。相手は誠二でなくてもいい。渇いた体に水を与えてくれたならそれでいいのだ。だからといって誰とでもそんなことが出来るわけじゃない。誠二は安心で安全だと思う。ただそれだけだ。
 
 日曜日の新宿は人で溢れている。この街はいい。人ごみに紛れているのは嫌いではない。福井にいたころは、いつも人の目を気にしていた。どこの誰がどうしたとか、ほんの少しのことでもすぐに噂になった。けれど自分が確かにそこに存在して、日々を暮らしているという実感があったのも事実だ。今はなにか違う。存在しているのにしていない。自分が誰なのかもわからなくなる一瞬がある。それもいい。流されるまま、そのままでいい。
 里美が京王プラザホテルに着いたのは二時ちょうどだった。エレベーターで一〇階に上がる。一〇〇三号室の前に立った。深呼吸をしてからドアをノックした。少しの間をおいて、中からゆっくりとドアが開けられた。

                                      了
 
 
 


 
 

 
 



 

posted by いろり at 21:07| 小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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